武漢肺炎: 社会的距離

最近はやりの社会的距離という言葉の使い方にはものすごい違和感があります。

武漢肺炎の流行前から社会的距離という言葉がありました。それは、

社会的距離とは、個人と個人の間、あるいは集団と集団の間の親近ないしは疎遠の感情の程度のことを指し、Bogardus が社会的距離尺度(Social Distance Scale)として尺度化を試みたことでよく知られている。Bogardus は人種問題を念頭に置き、被験者集団と所与の民族集団及び人種集団との距離を測定するために、次のような7個の文章からなる受容―拒否の次元での尺度を構成した。

(1)結婚によって親しい縁を持ってもよい。

(2)個人的友人として同じクラブに迎えてもよい。

3)隣人として同じ町に迎え入れてもよい。

(4)同じ職場の同僚として迎えてもよい。
(5)市民権を与えて同国人として迎えてもよい。
(6)訪問者としてなら国内に迎えてもよい。

(7)自国内から追放したい。」

 

一方で

アメリカの文化人類学者であるエドワード・ホールは、対人距離を4つの距離帯に分類しています。

  1. 密接距離:相手との距離は、0~45cmで、相手の体温や匂いが分かる距離です。非常に親密な間柄の相手の距離で、手をつなぐなど、肌と肌の触れ合いと匂いによるコミュニケーションが主になります。
  2. ​個体距離:相手との距離は、45~120cmで、自分の独立性を保つために他者との間にとる距離です。自分や相手が、手を伸ばせば、触れることのできる距離で、友人など親しい相手との距離です。
  3. ​社会距離:相手との距離は、120~360cmで、相手に触れることのできない距離です。職場での同僚同士の会話など、公式な場でのコミュニケーションに適している距離です。
  4. ​公衆距離:相手との距離は、360cm以上で、二者間のコミュニケーションは不適切な距離で、演説や講演の距離です。」

最近のよく使われるSocial Distance も社会距離でいいと思うのです。何故「的」を加えて紛らわしい新語を作るのか、分かりません。